2007年12月アーカイブ

石橋湛山先生が82歳のときに書いた「政治家に望む」という一文がある。

私が、いまの政治家諸君を見ていたら、一番、痛感するのは、
「自分」が欠けているという点である。
「自分」とはみずからの信念だ。
自分の信ずるところに従って行動するという大事な点を忘れ、
まるで他人の道具になりさがってしまっている人が多い。
政治の堕落といわれるものの大部分は、これに起因すると思う。
政治家にはいろいろなタイプの人がいるが、
最もつまらないタイプは、自分の考えをもたない政治家だ。
金を集めることが上手で、また大ぜいの子分をかかえているというだけで、
有力な政治家となっている人が多いが、これは本当の政治家とはいえない。
政治家が自己の信念を持たなくなった理由はいろいろあろうが、
要するに、選挙に勝つためとか、よい地位を得るとか、
あまり、目先のことばかりに気をとられすぎるからではないだろうか。

学生ベンチャー

約25年前、大学1年の時に今の会社の前身となる企画サークルを立ち上げた。
マーケティングやプロモーション、そして、テレビ番組のプロデュースなどに
右も左はわからなかった私は、すっかり、実践勉強に夢中になった。
学生企業だと言うと、多くの人が会ってくれ人脈も広がり、深い勉強にもなった。
新聞や雑誌などにも多く取り上げられた。
失敗もしたし、苦労もあったが充実した4年間だった。

しかしながら、やはり、当時は先生たちも冷たかった。
学生の本分は勉強だ。大学までいって何をしてる。
そんなことをするなら大学に行く意味がない。
また、産は泥臭い。神聖な学の世界に持ち込むな。
また、人生や社会はそんな甘くない、真面目に勉強しなさい。
大企業に就職すべきだ。永遠と多くの人に暖かい忠告を頂いた。

結果、悩みぬいた上、私は起業の道を選ぶ選択をしたが、
25年の歳月が経ち、今では、大学でも産官学提携が言われ、
インターンシップという科目が導入され、
アントレプレナー(起業)という言葉も生まれ、
学会でさえ、アントレプレナーという概念が認められるようになった。
さらに、学生の起業家に教官も出資したりしている。

今、私が大学院に通う姿を見て、多くの人に苦言を頂く。
「何を遊んでいるんだ」「実践勉強しなければ意味がない」
「そんなことをしていても、お金儲けにつながらないだろう」

長く、経営者として活動していて、私は、こう考えている。
せっかくの一度きりの人生、自分の利益だけに費やしたくない。
世の中の矛盾の解決に貢献できてこそ、意味がある。
民間人も主体者意識をもって、「公」に参加しなければならない。

例えば、わが国の「公」には、多くの負債があることは多くの人がわかっている。
しかしながら、その額がだいたいでもいくらあり、
また、どのようにその負債が生まれていることに、
当事者意識をもってとらえている民間人少ない。

こんな大人の姿で、私達はいいのだろうか。
官を責めるだけでなく、民が主体者意識をもって勉強しなければ、
この国に真の民主主義は生まれない。市民自治。

学生は純粋で夢もある。
いつまでも、純粋な学生マインドを忘れずにいたいがためにも、
当時、私は、起業の道を選んだ。当時の志が今、蘇る。
私にとっては、二回目の人生選択である。
この国に真の「市民主権社会」を創っていきたい。

京都大学の大学院

京都大学の大学院に通い始めて、かなりの期間となった。
片道2時間かけて、週数日通っている。
1年間ということもあり、疲れながらもがんばっている。
ある意味、とても、贅沢なことである。

大学に通って驚いたことは、
やはり、学生の質が高いということである。
当たり前と言えば、当たり前だが、
私学の大学を卒業した私に取っては刺激的なことである。

授業で寝てる人はいない。
講義では、受講生以外の学生も多く聴講している。
また、政治や国家の話になっても、
大人のひけをとらなく知識もあり、議論をかわす。

多くが国家一種試験を目指すエリートである。
ただ、何か物足りない。
何だろうか?それは、やはり、心の幅の問題である。
勉強やエリートへの道に関しての知識は豊富である。

でも、人生そんなものではない。
もっと、底辺の情報や経験も生きて行くには必要である。
ましてや、国を担い、公を語るにはなおさらそうである。

さまざまなものに興味を持ち、バランス感覚を持ち、
実践へのチャレンジ、失敗、チャレンジを繰り返す
普通の人の気持ちがわかるジャネラリストとへと育ってほしい。

実践主義の私から、スペシャリストへのメッセージである。

カテゴリ