ロッキー青木氏。私は30歳代の頃、毎月のように仕事でニューヨークに行っている時期があった。ロッキー青木氏は若いときに米国に行き、そのまま米国に居残り、アイスクリーム屋からスタートし、侍パフォーマンスステーキ「BENIHANA」で大成功し、全米で店舗を広げアメリカンドリームをつかみ、冒険家としても成功した。ヴェルサーチなどのスーパーモデル、デヴォン青木の父でもある。当時は米国で最も有名な日本人と言われていた。晩年は税務事件や冒険家としての事故などで苦労もされたが、私がお世話になっていたNYでの女性実業家小野恵子さんと三度目の再婚をされた。私も小野恵子さんが住むNY5番街の海運王オナシスが建てたオリンピックタワーで著名人が参加するホームパーティーによく招いて頂いた。ロッキー青木氏は、若い時から世界を狙うスケールを持つだけあり凄いオーラがある方であったが、とてもきさくな方でもあり、私が主催する日本での勉強会にもよく来てくれた。残念ながら数年前に亡くなられた。今、私の地元神戸垂水で「小粋」というパフォーマンスステーキの店がある。昔、ロッキーのもと米国ベニハナで働いた夙川の「あかひげ」のオーナーの弟子の方の店であり、今も侍スタイルの鉄板焼パフォーマンスを行っている。ロッキーが作った日本の鉄板焼パフォーマンス文化は今や世界中に広がっていて、私の地元にも普及してきた。ロッキーが私に「ベニハナはディズニーランドのように知恵を集約し千枚以上の運営マニュアルを作った。だから、世界に広がった。」と熱く語っていたことを思い出す。数年前、私はロンドンに行ったときもベニハナを訪れたが、若いエグゼクティブであふれる繁盛店であった。感慨深いものがある。「魅力づくり」は、「魅力ある人」によりなされるのであろう。
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