被災地でアートで復興をなす志賀野氏からのメールです。

「ともに生きる」を掲げて

震災復興における社会包摂型アーツ・マネジメント

志賀野桂一

 

1、      震災復興の基本視座

今回の東日本大震災における惨状はあたかもアニッシュ・カプーア Anish Kapoorの作品に見られるどこまでも果てしのない闇が拡がる光景である。瓦礫の山は、やがて強烈な臭気と見えないセシウムの恐怖さえも運んでくる。自動車や船が津波でビルの上に乗った超現実的な景色はかつてアーティストがみた夢の作品にも見える。この反芸術的事象を前に私達は呆然と立ち尽くすのみである。地球の巨大なエネルギーに恐怖と畏敬と絶望を同時に感じさせる。

芸術家やアートマネジャーを自認する人々の役割はどこにあるのであろうか。いうまでもなく震災復興は、人間性の回復や地域文化の再生なしに復興はない。しかし痛み傷ついた人々の精神の復興は、「心の癒し」などというフレーズで括れるほど軽くはないのだ。

レベッカ・ソルニットは『災害ユートピア』で大災害が起きた当初には特別な共同体、互助の感情が湧き起こる世界の事象を報告している。東北の避難所でもこうした光景がみられ、秩序だった姿が世界にも配信され感動を呼んだ。しかし、表だって暴動や不満の爆発がなったとはいえ、長期化する避難所暮らしは、将来の不安を含めマイナス感情を沈殿させていく。窃盗も多発している。人に言えない性犯罪さえあるのだ。今後、仮設住居で孤独化の問題も迫っているのである。これら被災者の抱える心理的ダメージ、多様な精神的課題に対して、文化芸術は何ができるのか。心理的なケアも重要となるが、本来的には病人としてではなく、人間としての自然な自己治癒力を高め、自立の道筋をたどるのが望ましい。芸術や文化の果たすべき役割はここにある。

芸術家は、平時にあっても精神の浄化や苦悩の昇華といった作用を人々にもたらすことを自らの業としてきた。震災で傷んだ地域の回復は、被災地の人間性の回復なくして達成できないと考える。多くのアートNPO、文化団体の支援活動が動き出している。こうした活動に支えられ地元の住民が生き生きと自己表現ができる日常を取り戻すこと、とりわけ祭をはじめとする地域文化の復興が欠かせない。私は震災復興には、人々の生存条件のみならず地域の誇りを取り戻す人間性回復という基本視座が重要と考えるのである。

 

 

2、   文化面の被災実態

今回の震災と津波によって被害を受けたのは①沿岸部に立地した歴史博物館のまちの古文書や、自然史系博物館の収集物など貴重な文化財が流失または大量の水によって破壊された。また、②公共ホール、民間・大学ホールは地震によって天井が落ちるなど大きな損傷を受け、閉館の状態となっている。劇場など吊り機構が複雑なホールほどダメージは大きく、再開のめどが立たないホールが相当数に上る。このことにより予定されていた各種催事が中止または延期になった。③学校の津波による被害が甚大で、楽器なども流され子供たちの教育文化活動が損なわれている。④まちの民俗的財産である祭の山車や太鼓などの被害が出ており多くの祭りの再開が危ぶまれている。

こうした目に見える被災に対して根深い問題が派生している。ひとつには瓦礫化した街である。これは、外の目線では膨大なごみの山としか写らないかもしれないが、住民にとってはまだ見つからない不明者の埋まっている聖地であり、個人の持ち物や思い出や記憶の品々といった宝の集積物である。喪失したまちの記憶の被害は数値にカウントできない。また、多くの公共文化施設が避難所に転用され、本来的な公演や活動の場が使用不能となっている。さらに原発事故により来日アーティストのキャンセルが続くなど、興業系の公演の中止または延期が余儀なくされ、エンタテイメント業界に脅威を与えている。日本全体における自粛ムードや現実に使えない多くのホール閉鎖によって、舞台芸術系のアーティストや舞台技術者の半失業状態を招いているのである。

 

3、   元気な草の根レベルの復興支援活動

復興に向けた文化芸術系ボランティアは、震災直後から活発に動き始められた。その中で私が取材した活動をいくつか紹介すると、まず仙台市の声楽家の松尾 英章らが進めている活動①アートインクルージョン@ARTinclusion)という 活動で、年齢、性別、国籍、障害のあるなし、美術の基礎知識やスキルなど関係なく誰もが自由に参加できるバリアフリーのアートプロジェクトに取り組んでおり、201142日~626日までの毎週土日、仙台市中心部で「大震災復興支援チャリティコンサート」をいち早く開催している。

仙台で活動する演劇人は、「せんだい演劇工房10BOX」(八巻寿文工房長)という仙台市がつくった公益法人の管理する演劇センターに人や情報が集まっており、ここに集まる演劇関係者を中心に市内のSENDAI座(小ホール)と連携して②Art Revival Connection TOHOKU(アートリバイバルコネクション東北)略称ARCTあるくと」を立ち上げた。代表は桶渡浩治(俳優)。被災地において演劇のスキルを生かした絵本の読み聞かせや、ダンサーによるストレッチ体操などの活動を行うほか、被災地に絵本を届ける活動の③「子どもとあゆむネットワーク」、米国サンディエゴで活動する仙台市出身の演出家木村やこの働きでフェイストゥーフェイスの支援を行う④クリエイティブ・アクションリンク(CAN)などの活動連携と調整機能も果たしている。

仙台のアトリエ自遊学校を主催する新田新一郎は⑤「子どもの笑顔元気プロジェクト」を開始、被災地の子どもたちにコンサートを届ける活動を行っている復興のためのメッセージソング「明けない夜はないから」4月にユーチューブにアップしたところ一月で5,500のアクセスがあったという。水の恐怖から風呂に入れない子が、新田の人形劇を見て笑い転げお風呂に入れるようになるという泣かせる話も聴いた。

宮城県南三陸町では、プロデューサーの吉川由美の仕掛けたアート事業⑥「きりこプロジェクト」が行われた。「きりこ」は神主が紙を切って作る縁起物のことで、これを使ってまちの記憶をもとに作った「きりこ」を飾った。

岩手県では坂田裕一(盛岡公民館長)が中心となって⑦「いわて文化支援ネットワーク」がNPO法人「いわてアートサポートセンター」内に開設された。 盛岡の音楽家を中心に合奏団を組織し、県北に派遣する予定。また陸前高田市は壊滅的な被害を受けたまちだが、⑧「全国太鼓フェスティバル」でも知られる。中心となる菅野健一さん、23年前の平成元年から始まった祭であるが、今では全国の太鼓マンがあこがれる太鼓の甲子園となってきた。このフェスのもととなったのは900年以上の歴史と伝統を誇る、「けんか七夕」で、その勇壮な山車太鼓をもとにしたお祭りなのである。高田の人々の心臓の鼓動とともに根付いている太鼓の復活、まちの常在文化を復興することは急務である。多くの太鼓が津波で流される窮状に呼応したスイス在住のフグラー美和子は、急遽太鼓の寄贈を行うこととなった。これらの後方支援を先の支援ネットワークが行っている。

⑨八戸市では、港の水産会社が大きな被災を受けたが、その水産加工会社「ダイマル」の復旧・復興の姿をドキュメンタリー映画で記録しようとする島守央子(京都造形芸術大学4年)の話を聞いた。彼女は八戸出身で、父の島守康友(62歳)が経営する水産加工会社の被災に遭遇し、これまで考えていたドラマ映画制作を止め、会社再建の姿を記録するドキュメンタリ―映画を制作することで八戸市に恩返しする決意をする。ダイマルはこの地では誰もが知っている高級しめサバ加工で知られる会社である。パートの職員が自主的に集まり、黙々と泥出しをしている姿、「会社が自分たちの家」と言い切る従業員、「働くとは何か?」彼女の会社観・仕事観を変える行為を目撃することによってこの映画制作が始まった。22歳の等身台の大学生が、過酷な現実に向き合い、父の苦悩や真摯に働く人々の姿に直面し、「一人では生きていけない」という当たり前の事に気づかされながらカメラを回している、撮影時間は、現在6時間を越え年末まで撮り続け2月完成と聞く。「八戸ポータルミュージアムはっち」では、震災復興の特別企画でこの映画の上映の検討に入った。

韓国の写真家イ・ビョンヨンと東北大学に来ている留学生ソン・チス、指導する片岡龍(東北大学大学院文学研究科)のもとで、⑩「地球はひとつ」という写真小冊子を発行している。ここには、被災地に自転車で訪ね歩き、それぞれの避難所に寝起きを共にすることでしか感じ取ることのできない世界を15千枚の写真から選び出しキャプションを付けている。

その一節から「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

震災による地殻変動は、錆びつきかけていた人間社会のくさびを大きく揺さぶりました。

古いカラを破って、新たな芽が生まれ始めています。

こんなにも人に逢いたいと祈ったことはありませんでした。

こんなにものを考え、心を動かしたことはありませんでした。

こんなに知らない者たちが身をよせ合ったこともありませんでした。

人どうし、村どうし、町どうし、国どうしの垣根を越えて、

こどもたちが大人になるまで、わたしたちはヒューマンライン

(人間のきずな)をもう一度結びつけていきたいと願っています。」(地球はひとつVol1.多賀城総合体育館避難所)

イ・ビョンヨンさんの話を聞くと朝鮮戦争の生き残りの人々の写真を撮ることをライフワークにしていたが片岡の招きで来日し、この震災に憑つかれた様に撮り始めた。彼の視点は、被災者の心に寄り添いつつ戦場の遺品を拾い集めたかのような写真で、見る者に敬虔な思いを抱かせる作品群となっている。

このことに感激したNPO法人の専務理事川村巌は早速動き出し、⑪今年「祈りを紡ぐー書と韓国写真家のコラボレーション+チェンソーアート展」(2011102425)を企画せんだいメディアテークで行うこととなった。これは今後東北三陸を中心としたアート・トリエンナーレ開催に向けたキックオフの催事でもある。

さらに今回、アーティスト支援組織「アーツエイド東北」が発足した。これは阪神淡路大震災の際、文化芸術支援で知られる神戸の島田誠の来訪をきっかけに機運が高まり、43名の発起人により2011622日にせんだいメディアテークで発足したものだ。任意団体で発足し、近いうちに一般財団法人そして公益法人を目指すことになっている。①震災の広域性に照らし東北目線で支援活動を行う、②支援対象は、被災したアーティストと震災復興の文化活動支援という2つ、③民間ベースで、即応性のある中間支援組織を目指すというものである。これは私も代表発起人の一人として名を連ね、大学、経済、文化団体、有識者などアーティストだけではない広範な共感を呼んでいる。支援方法は今のところ未定だが、できるだけ顔の見える関係での文化芸術支援が求められていると考える。チャリティ型・慈善型の支援・助成からマッチング・グラント型の支援、あるいはファンドと発展形も議論されており、こうした民間組織が我が国で多数の公的助成財団のあり方を進化させることに結び付く可能性も期待できる。いずれにしても地域の主体性、アーティストと支援者との互酬性の関係は大切にしたいところである。

 

4、   東北の文化基層と共同体の復興

「東北の大地には、豊かな詩や小説、そして哲学が埋もれている。東北はむしろ、一遍の詩であり、小説であり、哲学そのものであるかもしれない、しかし、その多くはあくまで寡黙であり、すがすがしくも禁欲的である」(『東北知の鉱脈』)と赤坂憲雄氏が述べているように、東北に存在するまたは埋もれた常在文化は実に数多い。東北弁の多様さや様々な祭り、えんぶり、田植え踊り、お神楽、剣舞、鹿踊り、七つ舞、虎舞など豊な芸能の存在はそれを証明するものであろう。コンテンポラリーダンスのひとつに数えられる北方舞踏は、大地との融合した下半身の所作など農耕という日常生活の中から生まれたアートというしかない。これらはすべて生活や仕事(産業)と一体化した中で熟成されてきた。また、わらび座の茶谷十六は三陸の芸能研究と地域の歴史を研究していることで知られるが、氏によると農民一揆の分布と神楽などの芸能分布が見事に一致するという。これは祭りで育まれた組織性や計画性、行動全体を貫く高い見識や思想が一揆と言う政治行動を支えた歴史的証拠であろう。背景として、東北は数多い自然災害に対応してきた歴史がある。特に海は災厄と豊穣の源であり、鎮魂が祭りの基調となっている。しかしこの言葉にこめられる意味は、魂を清め鎮めるというだけではない。鎮魂(たまふり)というように魂を奮い立たせる荒々しさを備えた言葉である。海のシンボルで知られる竜神の玉はこの魂の「たま」である。幾多の伝説物語も海の豊穣と災厄に彩られている。それゆえに祈りと信仰が強く残ってきた。神楽で三陸沿岸に伝わる2つの廻り神楽がある。下閉伊郡普代村の鵜鳥(うねどり)神楽と、宮古市の黒森神楽である。

岩手県では早池峰神楽(法印神楽)があまりにも有名であり、私も橋本裕之(盛岡大学教授)に出会わなければ廻り神楽の存在は知らなかった。橋本によれば、「ほかの法印神楽と比べることが出来ないほど三陸の光輝く、とび抜けた技量を備えたプロ集団」(橋本)だという。これはスポーツに例えれば大リーグ級、トップアスリート集団ということになるのだ。毎年北と南廻りの交代で巡業し、村々で祝福を与えていく。村の若者もリクルートして集団に入れる、村の女性との恋愛も含めその武勇伝は村人の憧れとなる。しかし、この神集団が今回の津波で壊滅した。東北の芸能のプロ集団といってもほとんどすべてが兼業の芸術家である。共同体の復興なくしてこうした芸能の復活もない。

宮沢賢治の農民芸術慨論の一節には、「職業芸術家は一度亡びねばならぬ、誰人もみな芸術家たる感受をなせ、個性の優れる方面において各々止むなき表現をなせ、然もめいめいその時々の芸術家である・・」とある。19世紀後半英国で起こったウイリアム・モリスのアーツ&クラフト運動とも一脈通じる世界観である。生活と芸術の境界を越えた芸術論の有効性が浮かびあがってくるのである。ちなみに地方のアーティストの存在様式はほとんどが兼業といってもよい。それをマイナスに考えるのではなく芸術の生活の統合(オールタナティブ)として前向きにとらえたい。鶴見俊輔のいう限界芸術という言い方も出来よう。

今回トピックとして「東北六魂祭」という東北を代表する6つの祭り(青森ねぶた祭、秋田竿燈まつり、盛岡さんさ踊り、山形花笠まつり、仙台七夕まつり、福島わらじまつり)が一堂に会し、71617日の2日間にわたり復興への狼煙を上げる祭りの開催が決まった。静の祭り仙台七夕の地に忽然と「赤い馬(震災の象徴)を鎮める伊達政宗」という<ねぶた>がこの6魂祭のためにつくられた。ちなみに昨年度の東北の夏祭りの人出数(平成22年度)は以下の通りである。

① 青森ねぶた祭り・・・320.0万人

② 秋田竿燈まつり・・・135.0万人

③ 盛岡さんさ踊り・・・135.2万人

④ 山形花笠まつり・・・100.0万人

⑤ 仙台七夕まつり・・・235.7万人

⑥ 福島わらじまつり・・28.0万人

2日間で、東北を代表する祭り(950万人を動員)が集結する。

今回の祭りの文字・ロゴは「巴(ともえ)」(*ロゴマーク)をモチーフに盛岡在住の12歳の書道家高橋卓也君が創った。仙台商工会議所の間庭洋専務理事は「まだまだ続く試練を乗り越えるためにも東北の誇り高い魂をこうした祭りの連携によって奮い立たせることが大切」という。

東北の夏祭りに共通しているのは、<七夕>である。ここで全国各地に伝承され行われている七夕の由来は、①祓いや籠り、②収穫の祈願、③中国から伝わる乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や星会いの祭り④佛教の盂蘭盆会(お盆)つまり祖霊祭、大きくはこの4つの要素が習合したものとされている。とくに仙台七夕や、竿燈祭り、ねぶた祭りに共通するのは、①②④で、竿燈の提灯には七夕の文字が刻まれ、ねぶたも農作業の「眠さを払う」「眠り流し」から「ねぶた」や、「ねぷた」が由来するとも言われている。いずれも農作業や機織りといった労働と深く結びついた祈りの祭りといえる。

東北には、古代より奥州征伐や戊辰戦争など痛めつけられてきた敗北の歴史観が根強い。東北に伝わる祭りはそうした負の遺産を払しょくするまさに祓(はらい)のエネルギーを秘めているのである。

 

5、   社会包摂型アーツ・マネジメントと地域に寄り添う支援

避難所では様々な芸能人やスポーツ選手が励ましの訪問がありニュースを賑わせている。避難所の被災者にとって元気づけられる効果は大きい。今後考えていかなければならないのは長期にわたる被災者支援のあり方である。災害復興の研究で知られる室崎益輝氏は、「被災者に寄り添い何をしてあげられなくとも一緒に海を眺める支援があってもよい」と述べている。

『災害社会学入門』(大矢根淳)では、支援者と被災者との関係性の中でラポール(信頼関係)が重要と指摘されている。つまり支援の受け手と送り手との関係で、受け手が常に劣位の関係性の中でしか感情表現できないとすれば被災者の不幸は解消されない(「贈与のパラドックス」)のである。地元に密着した信頼関係を築きながら行われる支援とそうした丁寧な支援の姿勢が大切である。

今回の震災に対して思うことは、自然条件の多様さと被災状況の個別性で、さらに原発事故は見えない放射能という新たな課題が加わって、震災復興に向けた対応はより複雑化している。

文化芸術によるまちづくりを日頃より研究している私の立場からも、アーツ・マネジメントの再構築を迫られた思いである。結論からいえば、「社会包摂(注*)型アーツ・マネジメント」が必要という点である。芸術と享受者との関係で原点に立ち帰ったマネジメントとポリシーが求められている。

かつてレ・ヴィ・ストロースが人間のつながりを、物と情報(言語)と女の交換という3つの要素で説明したが、アートを媒介とした交換行為をともするとお金にだけ置き換えてしまいがちな現代社会、今回の震災をきっかけに、善意や感激や涙や勇気といった様々な心の交換を目の当たりにしてきた。アーツ・マネジメントは、金銭交換という市場原理で割り切れないから面白いのではないかとさえ思える。

また芸術行為(作品)と享受者(聴衆・観客)とは本来11の関係性で成立している。わかりやすい事例を上げると、ヴァイオリニスト千住真理子の場合、彼女は天才ヴァイオリニストといわれながら10代後半で挫折する。復活のきっかけは、ひとりのホスピスの患者さんに請われバッハを弾いて聴かせることであった。11の演奏が彼女にとって本当の音楽の出会いとなり、復活したという物語である。演奏で慰められる被災者に対して、多くのアーティストが被災地の人に聴いてもらうことで逆に勇気づけられてくる。どんな大ホールでの演奏も一人を感動させられなければ多くの聴衆には届かないことに気づく、被災地での演奏会は芸術行為の原点を感じさせてくれる場なのかもしれない。

芸術の送り手と受け手は互いに芸術行為を通じてお金以外に大切な何かを交換している。経済優先の枠組みで演奏会をアレンジするマネジメントから双方向の人間の行為としての芸術と交感が起こる場面を数多く創りだすマネジメントに切り替えることが求められているのである。

今回の震災で、再び宮澤賢治のヴィジョンに戻るが、結論として「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」、これを賢治の夢としてかたづけるのではなく少しでも現実として考えたい。農民芸術慨論には「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」と書かれている。

賢治のヴィジョンはいま被災地の東北に生き続けている。

注*社会包摂・・・佐々木雅幸氏は『創造都市と社会包摂』(佐々木 雅幸:編著, 水内 俊雄:編著発行:水曜社)において、「社会包摂」とは「社会的排除を生みだす諸要因を取り除き、人々の社会参加を進め、他の人々との相互的な関係を回復あるいは形成すること」を指し社会的排除の対立概念であり、90年代後半よりEUにおける都市再生の目標の一つにも掲げられてきたものである。「創造都市」も「社会包摂」も、新自由主義的改革による「福祉国家」の解体を乗り越えて、新しい分権的な福祉社会をめざす共通の土壌の上に位置する社会改革の試みである、と定義づけている。

 

三角構造のアーツ・マネジメント

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