手術室のことはなかなか外には見えないものがあります。今後の参考のため、当人の名前を秘匿するかたちで皆さんに紹介します。私が仙台に行くとありますが、仙台ではなく三陸海岸です。これは次のメールにて。
●●先生
お久しぶりです。私は関連病院の一つである仙台●●病院●●外科に4月1日から勤務する予定です。地震当日も大胸筋皮弁の再建手術のため●●に出張手術に行って まさに手術室で被災しました。 建物はすごい揺れで崩れ落ちるかと思いました。必死で麻酔のかかった患者さんの頭をおさえあたりは真っ暗になり、モニター等全て電源が切れ、ちょうど手術が終わるところだったので、純酸素だけは入っているところで何とか手術が終わりました。
ICUは非常電源で電気は回復していましたが、その横の廊下から水道管が破裂し嵐のように水が降ってきました。とりあえず、術衣を着替えて外来に行ってみるとてきぱきと病院スタッフは廊下に非常用のランプ型電灯を置き、仮設のベッドを作り、暗闇、水びだしのなか、みんなで手助けして薬の手配、食事の手配、人数の確認など、スタッフがてきぱき混乱せず働いておりました。その日のロビーは入院中の患者さんでいっぱいでした。私も少しでしたが参加させていただきました。その日は口腔外科外来で過ごし、翌日はまた病室に入院患者さんを部屋に戻したり、崩れた病院を掃除したりしました。もちろん、トイレは真っ暗、水流れず、電気も止まったまま。病院関係者もその方たちの家も大変なことになっているのにもかかわらずがんばって働いておりました。私の代わりに辞める先生の家は横浜が実家で一人暮らしの家とは言え、津波で流されてました。
私はその翌日街中を歩いてみました。コンビニは停電中、お客の長蛇の列。みんな騒がず落ち着いて買い物していました。物品は何もありませんでした。
その近くにあった開店前のイトーヨーカドーを発見したので並びました。中はガラスが割れて危険とのことで少量の物品を一人1種類ずつで購入できることになっていました。イトーヨーカ堂も値段は普通、むしろ安いくらいの値段で販売しており、お客さんもみなさん騒がず長蛇の列を並んでおりました。泉区は信号も止まていますが、建物はそこまで破損はなく、みなさん落ち着いた様子でした。日帰り出張だったので何も用意しかしていないなか、新幹線も不通で長期の滞在を覚悟しました。しかし、千葉や神奈川、山形などから応援に来ていた救急車のなかで千葉に物品を取りに帰る救急車に乗せてもらい、最初の原発が爆発した数時間後にだれもいない上りの東北道をひた走り、土曜の夜中に東京駅に降り立ちました。宮城、とくに福島は東北道はうねり、ひび割れが多々あり、暗い中、つらかったです。被ばくの危険等、不安になりつつ、栃木に入った時にはホッとしました。おそらくその日に仙台から東京に戻ってきた方はほぼいないのではないかと思います。原発の問題もあり引っ越し業者も東北には行けないとのこと。仙台の病院にも連絡が取れずどうなるかはわかりません。家財道具をどうするか、トランクルームにも問い合わせているところです。いつも私は人事でごたごたして、自分自身も嫌になってしまうのですが... 。生活のこと、仕事のこといろいろ困惑しております。ただ、私はこのようなときになるべく4月1日に仙台に行って手助けを何かするべきではないのか口腔外科、歯科のことで病院でなにかできるのではないか。逆に迷惑になってしまうのか。いろんなことを考えながらこの数日過ごしております。
先生は仙台に行かれるとのことで思わず返信してしまいました。先生が行かれる被災地はどのあたりでしょうか。またお話聞かせて頂けたらと思います。
それでは失礼します