被災地からの声

皆様

 家族を三陸沿岸に残し単身赴任をしている●●●●です。この週末,家族の捜索のため東京から軽自動車を運転し21時間ノンストップで現地に入りました。


 小学生の子供2人を含め家族は地元大槌町で津波の被害に会いました。幸い避難できましたが、家屋は跡形もなくなりました。避難所が一杯で食糧、水、燃料が不足しています。手洗いも出来ず、いつ伝染病が発生してもおかしくない状態です。当然着替えはありません。また,避難所か10箇所以上に分かれ山間部にあり,携帯もつながらないため安否の確認が思うようにできていません。


 以下は,子供が話した津波の様子です。「授業中に地震にあい,縦横に大きく揺れた。校庭に集合し避難所のある高台に向かっている最中に津波が襲ってきた。移動してから10分後だった。海が渦を巻いて川をさかのぼってきた。川の堤防から,たこ焼きのプレートからあるれるように水が押し流されてきた。2,3回繰り返して,最後に大きな波が来た。直ぐに,コンビニに火がついた。火がどんどん燃え広がり,車が浮かんで火が燃え移ると爆発が始まった。床が木でできている音楽室が燃えていた。学校は4階まで燃え広がった。」


 学校の先生たちは、避難所の子供達の親かわりとなって、世話をするだけでなく、炊き出し、トイレ掃除、病人の介護等をしています。かなりの負担であり、いつ倒れてもおかしくない状態です。先生の多くは、まだ家族と会うことが出来ていません。


 また、街の中心部はがれきとへドロで埋まり、街は跡形もありません。学校、病院、役場等重要施設が機能しない状態です。大槌町に限らず三陸沿岸地域が甚大な被害を受け、沿岸各市町村の復旧は当面難しいでしょう。


 4月から新学期が始まりますが、いつ再開出来るのか全くわかりません。沿岸部はリアス式で海と山が近く、平地が限られています。仮設住宅や仮説の学校を建設するための平地は現地には少ないのです。また、津波の被害の少ない近隣の市町村に移動するためには標高600m以上の峠を超え車で1時間以上かけなくてはいけません。県庁所在地の盛岡と沿岸部は,峠を2,3越えなければならず,車で2時間以上かかり,被害の重大さが思うように伝わっていかないのも事実です。


 一刻も早い復興を願っています。しかし、人口が少ない上に子供とお年寄りが多く自力での復興には相当の時間がかかるでしょう。被害の少ない内陸部の市町村が被災者の受け入れを表明していますが、移動手段がなく新しい土地で生活するための資金もなく外に出る避難者は少ないようです。


 先生たちの負担軽減と,子供たちの学習環境を一刻も早く改善出来ればと強く願っています。


以下は,本日のニューヨーク・タイムズの大槌町の記事です。

from NY Times article today"

"In the town of Otsuchi in Iwate prefecture, 12,000 out of a population of 15,000 have disappeared.

"After my long career in the Red Cross where I have seen many disasters and catastrophes, this is the worst I have ever seen. Otsuchi reminds me of Osaka and Tokyo after the Second World War when everything was destroyed and flattened," Japan Red Cross President Tadateru Konoe told Reuters during a visit to the coastal town.

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