学生時代に大人たちに話をしていて感じたことがある。
彼らはお酒を飲みながら愚痴を言い、学生時代は楽しかったと言う。
若かった私はその言葉をストレートに受け止め、
そんなに嫌なら会社を辞めたら良い。今からでも学生をしたらと思ったものだ。
あれから二十数年の時間がたった。
今思えば、耐えることの大切さ。我慢の必要性も感じる。
ある意味、人生を生きて行くには、我慢や忍耐が必要だ。
また、こうした我慢や忍耐を経て人は成長していくのであろう。
しかしながら、おかしいと思ったことに対して、
いったいいつまで、我慢、忍耐することが必要なのだろうか。
死ぬまで我慢、忍耐するのが大人の生き方なのであろうか。
学生時代に起業し、鳥かごから飛び出した私は我慢や忍耐力が弱い。
おかしいと思ったら、誰にでも意見を言い行動してしまう。
かごを飛び出したら、毎日は自由である。しかし、青空もあれば荒天もある。
誰かがかごに餌を与えてきてはくれない。自分の力で食べていかねばならない。
自己責任である。嵐が来ると、じっと、晴れるまで耐えて待つしかない。
もちろん、こうした意味での我慢や忍耐力はついてくる。
かごにいれられていた人が自由になった時、
最初は喜んで、自由に青空を飛び回るかもしれないが、
やがて、毎日の時間をどう過ごすか、迷うようになるかもしれない。
また、安全なかごの中でゆっくり過ごしたいかもしれない。
空の中で生きていくためには、自分で決断し自分の責任で行動しなければならない。もちろん、幸せではあるが、とても厳しいことは十分に知っていなければならない。