役所の文書、官僚の発言は理屈づけがうまい。
話を聞いていると、ついその気になってしまう。
しかしながら、冷静に考えると彼らの話は本音ではない。
無難にこなしているのである。
文書や発言のテクニックが完璧ではあるが心がない。
役人通しで陰で話している姿と違う。
役人にも、もちろん素晴らしい人、尊敬できる人は多くいる。
彼らと個人的に本音で話してているときは、本音の実感があり、
熱いものを感じることも多い。
どうして、公になると本音を消してしまうのだろう。
いや、消さざるをえなくなるのだろうか?
それが大人の世界だ。本音を話してどうする。
実際は、時代とは違うところで動かしていくものなのだ。
と言われてしまえば、変に、少し理解してしまいそうにもなるが、
それで、本当に良いのであろうか。
それで本当に市民のための社会が出来上がるのであろうか。
理屈をきれいに言う役人を見ると、
ただ、今までのやり方を継承し、自分の地位を保全するがためだけに、
あなたの大切な命の時間を使っているにすぎなく見えてしまう。
今、必要なことは完璧な文書ではなく、本音の開かれた討論ではないのだろうか。
激動する時代において新しい時代を切り開くためには、
理屈ではなく、何にでもチャレンジする精神こそが必要なのだ。