意思決定のゴミ箱モデル

私もこれまで色んな会議に参加してきたが、
会議には様々な力が働き意思決定がなされていく。
多くの会議では、そこで出された意見が、全て取り入れられようとしたり、
誰かがその意見を言ったから、自分は反対となる意見は控えようと考えたり、
あの人には逆らえないと考えたり、
或は、自分が意見を言うとやらないといけないから、発言は控えようと考えたり、、。
これでは、結局、意思決定は「ごちゃまぜ」になる。

正直、一人で合理的に意思決定した方が、
一環したコンセプトが通るものになるのにと考えたりする。
なぜなら、経済学者サイモンが言っているように、
一人一人の持っている情報量や経験は違い、それぞれの量も深みも違うからである。

こうした意思決定の姿を理論化した学者がいる。
1970年代にアメリカのマーチ、コーエン、オルセンが提唱した「ゴミ箱モデル」である。
実際に行われる意思決定は合理的なプロセスを踏んでいないという理論で、
意思決定の要素として「選択機会(会議の場)」「参加者」「解」「問題」を指摘している。

集団における意思決定は、会議も回数を分けて実施し、
また時間と共に参加者の考え方も変わり、問題の捉え方も変わる。
つまり、意思決定は、まるでゴミ箱のようにたえず色々なモノが出たり入ったりして、
最終的に期限になったときの状況で意思決定が行われる。

このように集団における意思決定は、必然的に生み出されるものではなく、
4つの要素が偶然に結びついた結果でしかないという考え方だ。
言い換えると、「偶然でいいかげんだ」ということだ。

また、このモデルでは集団で意思決定を行う場面では、時間をかければかけるほど、
複雑な問題点が新たに発生したり、時間が経過するほど、
問題そのものや判断する基準が曖昧になるとしている。
参加したメンバー全員が納得できる解を探すことを重視すると、
そのプロセスの中で大事な問題点が抜け落ちたり飛ばされたりする傾向が強く
なり、失敗なるケースが増える。よくある目的と手段が本末転倒する例であろう。

今日、わが国の多くの意思決定は、これらの傾向があるのではないだろうか。
もちろん内容にもよるが、映画のシナリオや演出が複数の人でなく一人でなされるように、
内容によっては、少数または個人で意思決定されていく面も大切である。

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