看板・肩書き

私は19歳の学生時代に起業を始めたが、
当時から大変、お世話にななった方達が最近、多く定年を迎えれる。
当時、30才代から40才ぐらいの若手バリバリだった方達である。

多くが、まだまだお元気で、
これから!という若さをもっておられるのに残念である。

先日もある大手商社の役員まで務めた方が訪ねてきてくれた。
会社がすべてで今まで来てこられているので、
本当に寂しそうである。

人を紹介しても、以前のように大手商社の看板と肩書きはない。
ある自治体の助役まで務められた方も、最近、引退し、
会社を訪問してくれた。気が変に弱気になってきている。

どちらも、私は尊敬してきた人なので私も寂しい気がする。
私も、もし、会社務めをしていたなら、なんと後十年少しで定年だった。
人生はあっと言う間である。

しかし、今、思うのはやはり、人間は自分の看板、肩書きで
仕事をするのではなく、
どこにいても、自分の顔で生きていくべきだと思った。
その元助役の人は言ってくれた。
「看板がなくなっても気持ちよく会ってくれるのは君ぐらいだ」と。

私は、さまざまな出会いの中で、
その人個人と長くつきあっていきたい。
看板、肩書きとつきあっても何もおもしろくない。

先日、ある自治体の参事に私が課長、課長と、
知らないで言ってしまうと。その参事は、
血相を変えて怒ってきた。俺は参事だ!と、
間違ったことは大変失礼だが、寂しい気がした。

私は、会社の代表を長くしてきているが、
社長と言われるのがきらいで、
松村さんと呼んでもらっている。

一度の人生、自分の「顔」で生きてほしい。
そんな生き方をしていると定年も怖くない。

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