伝えたいこと: 2009年4月アーカイブ

 数年前から新興市場の登場でIPO(上場)バブルが始まった。
大して売上げもないのに、なぜか、簡単に上場を果たしていくIPOバブル。


 学生起業がスタートであった私の友人も多くの会社がIPOを果たした。
起業後、3年で上場を果たすと言って、本当に果たしていく。


 うらやましい反面、異感を感じた私は、その世界から距離をもった。
二十年前の不動産バブルのときもそうであった。


 実際に儲かっていないのに、どこどこが出資しているから大丈夫と、
資金を集めて、さらにIRを重ねて、伸びているふりをして意図的に株価をあげていく。


 数年前には、IPOを果たしとんでもない高値がついた株価も、
今では、その多くが、百分の一の株価とかになっている。

 
 まともに信じた投資家は大損をした。
 

 それはそのはずである。


 新興市場では、わずか数億円や十億円規模の売上げで上場できた。
これらに目をつけた、事業家はみせかけの上場会社を多く作っていった。


 つまり、百億円や二百億円のお金を動かしている事業家が、
新しいIPOを果たす会社設立を画策し、自分たちの資金を還流させ、
毎年、会社が伸びているように見せ、株価をあげていくのだ。


 こうした会社の人形経営者には、さわやか系の外見が良い人形経営者が必要となる。
私の友人たちもこうして、多くが社長としてスカウトされた。

 
 しかしながら、やはり、バブルは崩壊した。
やはり、ごまかしの売上は通用しない。実際の売上はそんなに簡単に伸びるはずがない。


 株価が大幅に下がった今、雇われた経営者は本当のその責任はないかもしれないが、
株主にはそうはいかない。そうした経営者も責任を取らざるをえない。


 また、雇われた経営者は、株も大して持っていなく、
実際は、事業家の判断に大した抵抗はできない。


 こうして、一世風靡したIPO社長達が、職をとかれ野に捨てられたりしている。


 先日も、まさしく典型的な親しいIPO社長が相談に来た。
仕事がないらしい。
事業家が株価下落で、彼に相談なく、突然、株を大量に売ったらしい。
そして、新筆頭株主は、旧役員を必要としなかった。


 今更、彼らに地道な普通の仕事ができるのだろうか。


 また、IPO会社を実質的に操り続けた事業家たち。
人材派遣会社、遊戯会社、食品会社、不動産会社、アパレル会社など。
個性的ワンマンオーナー系が多い。具体的な顔が浮かぶ人も多いだろう。


 一世風靡したIPO企業。
そして、IPOバブルの崩壊、やがて、社会はどこにいきつくのであろうか。
時代の流れの本質を見ていかなければならない。

※誤解を招かないように書いておくが、これは、もちろん偏ったIPOの見方であり、
実業を伴い、地道な努力で業績が伸び、急成長を遂げている会社。
また、雇われた社長ではあったが、絶大なる功績を残した素晴らしい人も多い。
私感的なイメージを書いただけなので、個別の会社、個人の批評ではない。

鴻鵠の志

 尊敬する恩師から素晴らしい句を教えて頂いた。
燕雀いずくんぞ、鴻鵠の志を知らんや


 近くしか見ないで、無難にしか行動しない人に、
大きな志をもって、先を見て行動する人の気持ちはわからない。
ツバメやスズメのようなちっぽけな鳥が 鳳 ( おおとり ) の大きな志がわかるはずがない。


 陳勝 ( ちんしょう ) は、秦の貧しい農民でした。
ある日、彼はいつものように雇われ農夫として働いていましたが、
ふと手を休めて側にいた仲間に、「ああ、苦しいときの仲間というのはいいものだなあ。
もし、金持ちになってもお互い忘れないようにしよう。」と言った。


 それを聞いた者が、「なに言ってるんだ。雇われ農夫のお前が金持ちになるなんて笑わせないでくれよ。」と言うと、陳勝は天を仰ぎ、「ああ、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。」と言って嘆息した。


 その後、陳勝は徴用されて兵役につくことになりましたが、 大沢郷 ( だいたくきょう ) というところまで来たときに大雨にあって足止めされてしまった。秦の法律は極度に厳しかったため、 目的地に着く期限に遅れれば斬罪になるかも知れない。

 
 かねてより大志を胸に抱いていた陳勝は、むざむざと罪を受ける道を選ばず、 共に徴用された仲間に対して、演説しました。「諸君は、雨に遭って約束の期限に遅れた。これは秦の法律では斬罪に当たる。ここで逃げても死罪は免れない。どうせ死ぬのだ。


  同じ死ぬ身ならば大いに名を挙げてみようじゃないか。王侯将相 ( おうこうしょうしょう ) 、いずくんぞ 種 ( しゅ ) あらんや!(王や諸侯、将軍、宰相は生まれながらに決まっているわけではない、誰でもなれるのだ)」


 こうして、陳勝は同僚の 呉広 ( ごこう ) と共に秦に対する反乱を起こした。陳勝呉広の乱は反秦感情の追い風を受けて火のごとく広がり、陳勝自信も一時「 陳 ( ちん ) 王」を名乗って勢力を伸ばしました。陳王は、結局、部下に殺されるが、秦は3代で滅び、劉邦によって再び中国は統一される。

 
 一介の農民でありながら、その弁舌をもって同士を集め、 決断力と行動力をもって一時とはいえ王となった陳勝の能力は志の意義を伝えてくれる。鴻鵠の志、今の時代にも大きなメッセージがある。