松村つとむ: 2007年6月アーカイブ

「自治体とは、市民がさまざまな公論を形成し、
公共、公共圏(語り合う場)を保証する為に役割を担う」
つまり、民主主義にのっとり、
さまざまな意見を持つ市民が、意見を主張し、
共に、公を創り上げていくのを保証しなければならない。

多くの自治体職員には耳が痛い話ではないだろうか。
自分達の既得権益を守れる
自分達の政策に歩調を合わせる人達だけの意見に沿い、
自分達に異を唱える人達の意見をいかに排除し、
無視していくかの技術ばかりを習得していないだろうか。

ある市議会においてもそうである。
真剣に物事を考え、意見を主張している野党議員に
鼻でわらって聞いている首長。そして、幹部職員。
まさしく、自治体の崩壊を象徴を示している。

また、主体的な住民が住民訴訟を起こしていても、
腐った自治体は弁護士にすべてをまかし、
真剣に市民側の主張を聞き、反省することはない。
首長や幹部は真摯に受け止めない。

これでは、自治体も終わりだ。
公に役立ちたい、志を持ち、
自治体に入った人々は、
役所の先輩達の悪い習慣に絶対にはまってはいけない。

市民の公論形成を保証する機関こそが、
本来のもっとも重要な自治体の役割なのだ。

昨日、学生起業家の大先輩でもある西川りゅうじんさんから
神戸での講演会のお誘いがあり、出席させて頂いた。
多くの良いお話を聞かせて頂いたが、
その中で、いろいろインパクトあるお話を聞かせて頂いたのでご紹介したい。

神戸を舞台の活躍した坂本龍馬の言葉で、
「世に生を得るは、事をなすにあり」

企業も地域も、ビジョンなきところ民滅ぶ。
理論家ではなく、行論家の時代。
世の中を幸せにしない商売、ビジネス、技術は
商売、ビジネス、技術ではない。
能力とは、自分の力を信じることである。

そして、また、驚いたデーター紹介のお話は、
世の中の新しい会社は、
起業3年目で65%が消え、35%が生き残る。
そして、起業5年目で85%が消え、15%が生き残る。
そして、起業10年目で93.7%が消え、6.3%が生き残る。1000社で63社。
そして、起業20年目で99.7%が消え、0.3%が生き残る。1000社で3社。
そして、起業30年目99.975%が消え、0.025%が生き残る。100000社で25社。
私の創業した3社の内、1社が20年を超え、2社が10年を超えた。
改めて厳しい闘いを勝ち残れた今日に対し、皆様に深く感謝したい。

そして、素晴らしい講演を聞かせて頂き、
常にリーダーとして走り続ける西川さんにも、ますますのご活躍をご祈年する。
私も西川さんの言葉をかみしめながら生きていきたく考えている。

イギリスのロナルド・ドーアの話題書
「日本型資本主義と市場主義の衝突」の中で、
自由業の弁護士であった
ミルトン・フリードマンの言葉が引用されている。

「人本主義」は、果たして働く人々にとってそれほど
素晴らしいシステムであるかということである。
近代的な労働契約は、あくまで労働を使用者に
売るものであって、人格を売り渡すものではない。

「人本主義」の恩恵に浴する人々は、生まれた時から
定年に至るまで、日本的な会社人間競争を強いられ、
その結果、自由や個性、人間らしさや創造性、
文化的な営み、家庭や地域社会でのふさわしい役割、
落ち着いた生活等を放棄し、物質的な富に比し、
心貧しいコンフォーミスティックな生活を
強いられているのではないか。

私はこの本を読み、
一方で依然読んだサルトルの言葉を思いだした。
サルトルは、「人間は、自由という刑罰に処せられている」
と語っている。

つまりは、全てを自分で決め、
その結果についての責任を負うことは、刑罰に値するほど、
厳しいものだと語っている。

あなたは自由に生きることができるだろうか。
私は、「自由」を大切にして、自分に与えられた「選択の権利」、
つまり、自分が正しいと思う道を徹底的に貫く
あらためて、そんな生き方をしていこうと決意を固めた。

先週末、大学時代からの親友が急逝した。
思わぬ出来事で未だに実感がわかない。
一報を聞いて自宅に駆けつけ、
お通夜に行き、葬式にも参列したが実感がわかない。
おい!起きろと言いたくなる。また、思わず携帯をかけようと思う。

また、一報を聞いてから、その友人の事が頭から離れない。
毎日の生活の中で、その友人の面影や言葉が蘇り涙が出てくる。
最後にあったのは3月の上旬であった。
大手企業に勤務する彼は東京に栄転になり、
豪華なマンションに単身上京し、
その日も一緒にワインを飲み、彼のマンションで得意のギターを
披露してくれた。
私も心の中では大手企業のサラリーマン人生もうらやましいと思っていた。

家族によるとそれから1月。仕事でのストレスで体調を崩したらしい。
人間、いつ死ぬかわからない。
あの日、お互い自分に納得いく人生を送ろうと話していた。
まさか・・・。こんなことになるとは夢にも思っていなく、
彼自身も全く考えもしていなかっただろう。

思えば、選挙の時も、多くの友人を連れてきてくれて、
苦言も言ってくれながら励ましてくれた。
選挙カーにも休日を利用して乗ってくれた。
本当に感謝で一杯である。
こんな早いお別れになるとも心にもなかったが。。
微力ではあるが、今後も故人の想いを大切にしていきたい。
そして、残された家族の方々も、大変だと思うが何とかがんばっていってほしい。
心からご冥福をお祈り致します。本当に色々ありがとう。。。