松村つとむ: 2006年3月アーカイブ

今月は仕事もあり、ニューヨーク、ワシントン、ロンドン、パリを回ってきた。
今回は、仕事が終わると、今までのように多くの人と会うことを避け、
ひたすら街を歩き続けた。
改めて、日本、また、自分の住む神戸のスケールの小ささを感じた。
そして、今、この国には、街も組織も人も、自立が必要であることを痛感した。
平日の昼間から、多くのミュージアムで、大人の姿を見る精神的余裕。
そして、日本では考えられないスケールと数があるミュージアム群。
祖国を愛し、その歴史と文化を伝えようという、言わば、当たり前ではあるが、
日本では忘れさせられているもの。
多くのミュージアムが、そんな凄い規模で運営されながら、
入場料が無料。まさに、国民のため、国の栄誉を守るために、
税金が使われているのが実感できる。
中でもワシントンでは、歴史博物館で、
第二次世界大戦で、ドイツとイタリアと日本が独裁国として展示されている事や
当時の日本軍の零戦や人間魚雷が展示されているのが印象に残る。
ロンドンでは、大英博物館でミイラが展示されていて、
金で作られた棺おけを見ると改めて、人類の歴史を感じさせられた。
そして、イギリスの紳士的な街の装い、それに、高い物価。
自動販売機でコーラが1本約300円、地下鉄が一駅間400円。
自分が後進国である日本人あることを実感してしまう。
また、フランスでは、駅と駅をまたぐルーブル美術館等の規模の大きさと、
1600年には、エッフェル塔が鉄筋で建てられ、
エレベーターがつけられ、博覧会が行われた。
エッフェル塔や凱旋門の規模も予想以上に大規模である。
紀元前に作られたミロのビーナス像や400年も前に作られたモナリザを見て、
改めて、ヨーロッパの歴史と文化の深さを感じる。
そして、多くの闘いを乗り越えてきた強さも感じる。
ヨーロッパやアメリカの行政や文化を明治維新後、
模倣してきた、わが国は、表面的には先進国になったが、
日本人の心が自立し、余裕をもち、そして、公共心というものが、
芽生えて始めて、この国の新しい時代が始まる気がする。
あきらめてはいけない。アメリカだって短い歴史の中で、
大きな成長を遂げてきたのである。
日本だって、もっと魅力あふれる国に変身できるはずである。
人生は大きな視野と歴史観を持たなければならない。
私が今回、痛感したことである。